創健生活暮らし、徒然日記 〜野菜を食べるということ〜
先代の社長であり私の父、調了堂(しらべりょうどう)は、生活研究家なる肩書を名乗りコラムを書くことを楽しみにしていました。医薬品サンクロンは、『創健』(そうけん)〜健康は自ら創るものである〜という金子卯時雨の提唱した健康学の中に誕生した医薬品です。私たちはこれからも、医薬品サンクロンを通して、暮らしの中で様々な創健の気付きを感じ、生きる工夫をしていくと思います。私自身の生活を振り返り問答するような気持ちで、過去のコラムを紹介させていただきます。
私たちは、美味しい食べ物が溢れかえる豊かな現在を生きています。日本ほど各国の本格的なグルメを堪能できる国は少ないように思います。食いしん坊の私も、欲するままに食事を頂くことがあります。
サンクロン製造の苦労話や創健生活を勉強していて、頭では良く理解できることがあります。口や頭が欲する食べ物と、食べると体が楽になる食事は必ずしも同じではない事。そして、体に良いと言われる栄養素の含まれた食品と、体が吸収できる食品は違うこと。身体の本当の健やかさを感じるためにも、動物としての本能を働かせながら必要な食べ物を得る感覚をもっと養いたいなと思う毎日です。
野菜を食べるということ
中学生の頃まで親しく付き合っていたおじいさんが居られました。元は福岡で石炭の鉱山を持っていた方ですが、先の戦争前に財産を処分して今の北朝鮮でりんご園をしておられたそうです。戦後は苦労しておられましたが、機知に富んだ方で、話しを楽しく聞かせて頂いたものです。山道を一緒に歩いていたときのことです。この木の葉は食べられるよといって、その葉を口にされました。私も真似をしましたが、なるほど口が縛れることもなく、食べることは出来ましたが、美味しいもので はありませんでした。道端の草もあれやこれやと食べられるものを教えてもらいましたが、これは 野草の本に沢山紹介されています。あのときに、食べられる何種かの木の葉をもっとしっかり覚えていたならと今でも悔やまれます。
何故こんな話しを始めたかというと、元々この日本に住み始めた先祖は食べられるものは木の葉を始め何でも採取して口にしていたであろうと考えられるからです。キリンとあまり変わらない位に相当の量の木の葉を食べていたかも知れません。では地面にある野草ではどうでしょうか、今の見れるほどの大きな根っこの大根も元々は小さな根っこでした。古代の人は小さな根っこを期待して食べたのではなく、葉っぱの方を食べていました。日本に住む民族は、木の葉、緑の野草を野菜として食べて生きながらえてきたのです。今の日本には元々日本になかった品種も沢山持ち込んで、自菜も品種改良と称して立派な物に仕上げましたが、白菜も大事なところは外側の緑の葉の所です。
オーストラリアのコアラはご存知のようにユーカリの葉を食べますが、何百種と有るユーカリの 木の中の5〜6種だけしか食べないそうです。後はコアラにとって毒物か何か都合の悪いものを持っているのでしょう。このコアラたちも私ども人と同じように、ユーカリの葉の品種改良を望んでいるのでしょうか。
人は知恵づいて品種改良を続けてきましたが、これは品種改悪かもしれません。こんな事から人が食べなくてはならない野菜は、木の葉っぱはともかく緑の濃い菜っ葉 でなければならい事がお解りになると思います。無農薬で有機野菜だといっても、ト マトやキュウリやレタスはどうでも良い食品です。流行にとらわれることなく、もう一度人の食の基本をしっかり考えなければならないと思います。
生活研究家 調 了堂 のコラム「血の流れ」より 2009.4.
お詫び。少々乱暴な表現もございますが、訂正せずそのまま掲載しております。どうぞご容赦ください。